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【小金井市長選挙立候補に向けての決意】

 私は、本年 4月に執行された小金井市長選挙に 4選を目指して立候補しましたが、残念ながらその目的を達成することができませんでした。これは、偏に私の不徳のなすところと深く反省しているところでございます。
 市民の期待の中でスター卜した新市長も、選挙公約を果たすことができず約 6か月という短い期間で辞職にいたりました。小金井市に激震が走りました。
 市長辞職の一因はごみ問題でした。市民生活に直結することから、市議会等で議論されるとともに、新聞やテレビなどマスコミにも報じられるようになり、世間の注目を集めることになってしまいました。新聞等の報道によれば、多摩各市等の新たな支援策により、まだまだ全量ではないにしろ、平成 23年度のごみ処理に一定の見通しが立ってきたとの報道に安堵しているところです。関係市や施設近隣にお住まいの皆様に心から感謝申し上げる次第です。
 このような状況の中で、市長辞職に伴う選挙について、立候補すべきか否か大いに悩みました。そして、多くの市民の方々から、ごみ問題を片付けるのが私の費任であるという声をたくさんお聞きする中で立候補を決意しました。
 この先、平坦な道が続くとは到底思えません。苦難の連続になることは自に見えています。しかし、これまで進めてきた経過等を考えると、今は、この責任を回避すべきでないと考えるに至りました。苦難の道を進むことを覚悟しての決断です。
 財政再建も街づくりも小金井市の大きな課題でしたが、この 1 2年間で一定の成果を上げることができました。しかし、まだまだ道半ばです。
 当面する課題として、ごみ問題の他に、市民交流センターの取得と新庁舎の建設があります。市民交流センターについては円滑な運営を下に取得してまいりたいと考えます。また、新庁舎建設は財政計画に合わせて進め、リース庁舎の早期解消に努めてまいります。
 その他、高齢者、子育て、障がいのある方々の福祉のニーズや課題に応えるとともに、教育、文化・芸術、食育、生涯学習の進展も図ります。また、地域の商工業、農業の活性化も重要です。さらに、地域コミュニティーの復活も新たな課題です。こうした施策は、市民協働の考えの下に、市民の皆さんとともに取り組んでまいります。
 私の市政に対する熱い情熱はいささかも変わることはありません。これからも私心を捨て、残された課題と新たな課題解決に取り組むとともに「信頼の小金井」を議会と市民の皆さんと作ってまいります。

さくら通信 平成23年11月24日


【1日1万歩以上の連続記録途切れる】

 6月8日から始まった1日1万歩以上のウオーキングが、11月19日(土)の8,087歩で途切れているのが分かりました。いつもは、自宅前で歩数計のカウントを確認し、不足しているときは近所を一回りしてカウントを合わせるのですが、確認を怠り、翌朝気付いたのです。
 毎朝5時頃に起き、早朝の素晴らしい景色を見ながら、鞍尾根橋から二枚橋までの野川や、喜平橋からの玉川上水など、アトランダムに歩き、途中、くじら山原っぱや小金井公園など各所のラジオ体操会場でラジオ体操をし、8時頃、自宅に戻るのを日課にしていました。
 しかし、諸般の事情によりその様な朝の日程をこなすことが困難になりました。また、どうしても活動範囲が広くなることから、自転車に乗ることも多くなり歩数を稼ぐことができにくくなりました。早晩、連続記録は終えるとは思っていましたが、少し残念な気持ちもあります。

さくら通信 平成23年11月21日


【青梅市長選挙告示】

 青梅市長選挙が11月13日(日)告示され、午前9時から青梅駅前で、現職竹内としお候補の選挙戦の第一声が行われました。
 竹内氏とは半年ずれて12年間市長会等で行動を共にしてきた同士として、激励に行きました。30分ほど遅れて着くと、すでに応援演説が始まっており、市町村長の挨拶に入るところでした。私は、大勢の聴衆の中でそれを聞いていました。
 何人かの首長やマイクを持つ人から、小金井の4月の市長選挙やその後の市政運営、ごみ問題に触れられたのは、聞く私にとっては辛かったです。後で選挙事務所で知ったのですが、3人の候補者の中に小金井市民の方がいられることから、小金井市についての言及が多くなったようです。第一声の終了間際、私が来ていることに気付いた竹内候補の求めに応じ、一言激励の挨拶をさせていただきました。
 第一声が終えた後、応援の首長さんたちと雑談をしている中でも、小金井市に対する不信感も出ていました。いろいろな話を聞く中に、信頼回復に対するアドバイスもいただきました。私は、ごみの広域支援や最終処分等に関して、感謝の気持ちを述べさせていただきました。現在、私の出来ることはこの程度でないかと思っています。

さくら通信 平成23年11月15日


【かわぐちかいじ展開催中】

 愛媛県今治市をスタートし、広島県尾道市をゴールにする、第11回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチが9月30日〜10月2日にかけて行われ、私も参加させていただきました。このことについては10月12日のさくら通信に書かせていただいていますが、丁度、ゴールになった尾道市では、尾道市出身であり小金井市民の漫画家かわぐちかいじさんの「かわぐちかいじ展」〜マンガ表現とその現場〜が尾道市立美術館で盛大に開催されていました。また、おのみち歴史博物館では、尾道人物伝「かわぐちかいじの心」が同時に開催されていました。
 私は、尾道市に特に一泊し、美術館と歴史博物館を見学させていただき、よく存じているかわぐちかいじさんでしたが、改めてその人となり等を深く知ることができました。両館とも大勢の人々で大変にぎわっていました。
 また、この両方の催しは、ともに11月27日(日)まで開催されています。

▼尾道市立美術館 「かわぐちかいじ展」〜マンガ表現とその現場〜


▼おのみち歴史博物館 尾道人物伝「かわぐちかいじの心」



▼尾道の風景

さくら通信 平成23年11月14日


【街角の風景】

 調布飛行場を東西から挟み込むような形で都立武蔵野の森公園があります。この公園の西区域に行く近道を教えていただきました。それは、二枚橋から徒歩約20分です。
 先ず、二枚橋から東八道路の歩道橋を渡り、野川公園の南区域に入り、道なりに進みます。途中大きく左にカーブした先に「3」と記されたトイレがあり、そのすぐ先の細い道を右に曲がります。少し行くと右にテニスの壁内ちやテニスコートがあり、トイレ「2」を左に見て直進すると「多磨通り」に突き当たります。これを左折して多磨通りに平行して約50メートル進むと「武蔵野の森近道231m」の小さな案内板があります。それを右折し、多磨通りそして人見街道を横切って進むと、前方に修景池など素晴らしい景色が目に入ります。
 見頃は、東の空が真っ赤に燃える日の出の少し前です。

さくら通信 平成23年11月11日


【10月の歩数計のカウントは】


さくら通信 平成23年11月10日


【佐藤和雄小金井市長辞職】

 平成23年11月1日、佐藤和雄市長は野見山修吉市議会議長に退職申出書を提出しました。申出書には、一身上の都合により、平成23年11月12日退職したいので、同意されるよう願います、と記されていました。
 市議会は本会議で市長の辞職を賛成19、反対3で承認しました。反対の3人は4月の市長選で佐藤市長を応援した漢人明子、片山薫、田頭祐子の各議員で、青木ひかる議員は病欠、野見山議員は議長のため採決には加わりません。
 4月の市長選挙で佐藤市長は、稲葉市政のムダ使いとして、政策的にはごみ問題、庁舎問題、そして市民交流センター問題を主な争点にし、選挙戦を展開しました。選挙戦はどうしても次第次第に発言が過激になるものです。しかし、市長に就任すると公約の撤回や変更が相次ぎ、市政は混乱し、あの選挙は何だったのかと言う声も市民の間から出てきました。これが辞職に至った理由と思われます。
 特に問題だったのは、ごみ20億円のムダ使い発言でした。小金井市は、二枚橋焼却場閉鎖後、近隣市等にごみを委託してきました。関係自治体や施設周辺にお住まいの方々などには心から感謝申し上げなければならない立場にあります。それがです…。
 平成23年度の燃やすごみの排出量は1万3500トンと予想されていましたが、多摩川衛生組合(構成市は稲城市、狛江市、府中市、国立市)との8,000トンの契約でスタートし、4月の統一地方選挙後に残りの5,500トンの処理契約をお願いする計画にしていましたが、当選した佐藤市長の選挙公約の20億円のムダ使いに協議は進まず、ごみ処理不能を目前に佐藤市長の辞職になりました。
 その後、多摩川衛生組合の1,000〜2,000トンの増量と昭島市の支援で、年内の処理の見通しが立ちました。しかし、今後、年明けの処理と、平成24年度の処理計画を作っていかなければならず、まだまだ課題は残ります。
 尚、佐藤市長の辞職に伴う小金井市長選挙は12月11日(日)告示、18日(日)投・開票と決定しています。

さくら通信 平成23年11月9日


【紙舟忌】

 小金井市の名誉市民である星野哲郎先生が逝去されて1年が経ちました。ご子息の有近真澄氏と星野先生のお仲間が追悼の日を社名の「紙の舟」から「紙舟忌(ししゅうき)」と名付け、その1周忌の法要が10月12日都内のホテルで営まれました。
 星野先生は申し上げるまでもなく、人生の応援歌とも言うべき多くの歌をつくり、私たちにいつも元気を与えてくれました。今、国難ともいうべき時、先生が遺された人生の応援歌とその精神が、今こそ国民にとって切実に大切なものと言えるのではないでしょうか。
 先生は小金井市にとっても掛替えのない方で、本当に多くの功績を残していただきました。私にとっても公私にわたり多くの思い出をいただき、感謝でいっぱいです。
 「紙舟忌」には、星野さんと親しかった約300人の方々が招かれ、お元気だった時のビデオや星野先生作詞の曲が流される中、その死を惜しむとともに、思い出に話が尽きませんでした。


さくら通信 平成23年10月26日


【後援会のタオルについて】

 瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチのスタートとなった愛媛県今治市はタオルの生産でも有名です。ウオーキング参加者にはタオルが配られたりしていました。市内には、タオル美術館もあるほどです。一流といわれるホテルは今治のタオルを使っているとお聞きしました。しかし、近年は中国産に押されて厳しい状況にあるようです。
 タオルといえば、私が昭和60年に市議会議員になった当時、年始などで支持者を訪問するに際し、タオル等の粗品を持参することが許されていました。そこで、住所と電話番号の記されたタオルを作成し購入しました。
 その後、地方議員の同志を募り「無印良品議員の会」や「地方から政治風土を改革する会」等を設立し活動しました。その活動の一環として、政治家の虚礼廃止を進めました。それは、先生と呼ばれないようにすること。また、粗品等の進呈や時候の挨拶が主となる年賀状などの文書の発送を自粛することなどを申し合わせ、法改正に向けて活動し、その結果、法改正に持ち込むことができました。
 そのため、用意したタオルは段ボールに入れたままになり、その処理に困っていました。
 平成14年8月、青年海外協力隊でアフリカのガーナに赴任している次女の様子を見にガーナを訪れる際、首都アクラにあるJICA事務所宛にそのタオルを発送しました。
 数ヶ月後、アクラで柔道大会が行われ、柔道の指導者も協力隊の隊員であることから、娘も他の隊員たちと応援に行くと、出場選手が首に巻いている揃いの白いタオルに、何か漢字らしいものが書かれていて、よく見ると「小金井市議会議員 稲葉孝彦後援会」と記されていたのでびっくりした、と連絡がありました。JICA事務所が参加賞に使ってくださったのでしょう。

さくら通信 平成23年10月21日


【街角の風景】

 1年中で最も快適な季節の到来です。秋の花コスモスが満開です。見所は、二枚橋のすぐ上流の箭真舳橋(やまべはし)と小金井新橋の間で両岸に咲いています。

さくら通信 平成23年10月17日


【1日1万歩、9月は】


さくら通信 平成23年10月14日


【瀬戸内しまなみ海道を完歩】

 第11回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチが9月30日〜10月2日にかけて行われました。これは、愛媛県今治市から、しまなみ海道を広島県尾道まで歩くもので、小金井市での東京国際スリーデーマーチ等で知り合い、瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチが日本マーチングリーグに加入に際し、お手伝いしたことから今治市の職員等のお誘いや、かねて挑戦したいと考えていたこともあり今回実現しました。
 1日目は、今治城吹揚公園から伯方SCパークまでの30Km。出発式は晴れましたがその後は、降ったり止んだりで午後は大雨になりました。
 2日目は、伯方SCパークから瀬戸田市民会館までの20Km。天気は晴れ。
 3日目は、瀬戸田市民会館からゴールの尾道駅前広場までの30Km。天気は曇り。
 瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチで、瀬戸内海の美しさと、ウオーキングの素晴らしさを堪能しました。

 丁度、ゴールになった尾道市では、尾道市出身で小金井市民の漫画家かわぐちかいじさんの「かわぐちかいじ展」が10月1日から尾道市立美術館で盛大に開催されており、また、おのみち歴史博物館では、[特別展]尾道人物伝「かわぐちかいじの心」が併せて開催されており、美術館も博物館も大勢の若者でにぎわっていました。また、市内はかわぐちさんの作品のポスターや横断幕などで、尾道はかわぐちかいじ一色でした。

さくら通信 平成23年10月12日


【燃やすごみの広域支援について(その2)】

 新しい年度を翌日にした平成21年3月31日、八王子市役所で、4月1日からのごみ処理の契約を交わし、記者会見でそれを公表しました。黒須隆一市長とは20年来の仲間ということもあり、小金井市の窮状打開のため、市長会会長としても積極的に取り組んでいただきました。黒須市長からは「処理場が小金井から遠くて申し訳ないね」という言葉も出ました。また、その日の午後には、八王子市の職員団体の委員長からも「我々職員も全力で小金井市民のために全力で協力する」との力強い電話をいただき、感激しました。委員長とは、東京都市町村職員共済組合の理事長の私と、代表理事の関係で共済組合の経営等にお互いが責任を持つ関係にもありました。
 4月1日、施設近隣住民への説明など、両市の担当職員の入念な事前の準備の御陰で円滑にスタートしました。そして、八王子市の職員団体の副委員長からも「私たちが責任を持って処理しますから安心して下さい」との電話もいただきました。副委員長は、小金井市のごみを処理してくれる館工場の勤務でした。
 数日後、黒須市長に電話で感謝と状況報告し、小金井支援に対する八王子市民の反応を問うと、「市長よくやった」とか「市を誇りに思う」とか「困っているときはお互い様」と、支援を評価する意見がたくさん来ている。苦情は全くないということでした。私が「近日中にお礼に行くから」と言うと「来なくていいよ」とのことでしたが、それでも、担当職員と市役所と館工場をお邪魔しました。館工場では玄関先に職員が整列して迎えてくれて恐縮しました。市役所から到着の時間が告げられていたものと思われます。また、八王子市は土曜日の収集・搬入は無いのですが、館工場は小金井市の土曜日の収集のために、特に搬入をさせていただく無理も受けていただきました。
 小金井市の職員団体の役員も八王子市に出向き職員団体等に感謝を申し上げています。
 4月1日には、新たに昭島市との契約も終え、順調なスタートとなりました。昭島の北川市長とも市議会議員時代からの同志で、特に広域処分組合で日の出町の二つ塚最終処分場を決定する時は、管理者が土屋武蔵野市長、議長が北川議員、そして私は一議員として頑張ってきた経過もあります。
 小金井市の厳しい状況に対し、八王子市の黒須市長、昭島市の北川市長、日野市の馬場市長、多摩川衛生組合の石川前稲城市長をはじめ、25市の市長や議員、そして多くの関係者や施設周辺にお住まいの方々の大きなご協力をいただいてのごみ行政でした。しかし、「20億円のムダ使い」という表現をこの人たちはどの様に受け止めるでしょうか。協力いただいた方々に申し訳ない思いで一杯です。
 自治体間の連携はごみ問題に限らず、福祉、環境、防災等々、市政全体に及び、小金井市だけで成り立つものではありません。失った信頼関係の修復は非常に困難です。しかし、それを果していかなければなりません。

さくら通信 平成23年10月7日


【街角の風景】

▼台風15号は首都圏を通過することで多くの被害をもたらしましたが、小金井市においては、市内各所で倒木や道路冠水はありましたが、台風の強さの割りには被害が小さくて済みました。



▼中央線の高架下の工事も進み、農工大北側道路の工事用の塀が外され、狭い道路の圧迫感がなくなりました。


▼法政大学工学部の改修に伴い、北側の万年塀がネットフェンスになり、セットバックにより歩道も整備され、明るくきれいになりました。道路の内側はミストシャワーのテストが行われていました。

さくら通信 平成23年10月5日


【芸術文化フェスティバル2011】

 NPO法人小金井市文化協会発足20周年を迎えての、芸術文化フェスティバル2011が9月21日〜25日にかけて、小金井市民交流センターで盛大に開かれました。
 大ホールを使っての林望先生の文化講演会、市民オーケストラ、日本舞踊・邦楽の祭典、そして小金井市民コーラスのつどい。また小ホールや市民ギャラリーを使っての美術工芸展、大勢の市民をお迎えして盛大に開催されました。市民交流センターを拠点に芸術文化の大きな発展に期待したいものです。

さくら通信 平成23年9月27日


【芸術・文化は心の福祉】

 20年を迎えた小金井市文化協会、この間、歴代の会長をはじめ役員の方々、会員の皆さんのご努力により大きく発展し、小金井市の芸術・文化の中心としての役割を果たしてきました。
 「芸術・文化は心の福祉」の言葉は小金井市文化協会前会長の故・小杉山禮子さんの活動の基本的な考えでした。それが今でも脈々と引き継がれています。
 文化協会の皆様の目的の一つは文化ホールの建設でした。市民交流センターの建設には計画の段階から積極的なご協力をいただきました。約10年をかけて本年4月、武蔵小金井駅南口の再開発とともに、市民待望の交流センターが完成しました。これが、芸術・文化振興の拠点となります。平成12年6月、創立10周年の記念講演で、團伊玖磨さんが、文化センターの開館の講演を約束したのに果たせませんでした。また、小杉山禮子さんをはじめ、多くの方々のご尽力を頂いたにもかかわらず、その完成を見ていただけなかったことが残念です。心から感謝申し上げます。
 市民の皆様が、心に潤いをそして豊かな生活を送るためにも、文化協会が20周年を契機に、更なる発展を期待するものです。

さくら通信 平成23年9月27日


【携帯電話】

 私自身、物事にこだわり過ぎる嫌いがあると思っています。今一番私がこだわっているのは1日1万歩以上のウォーキングです。6月8日から連続しており現在も進行中です。平成19年5月のスリーデーマーチの小金井公園で、土屋正忠衆議院議員から「健康をプレゼントするよ」と渡されたのが万歩計でした。(公選法の絡みから代金相当額は受け取っていただきました)それ以来、健康をもらったはずでしたが歩く病気になりました。
土屋氏曰く「彼はムキになる性質だからなァー」。
 私がこだわってきたのは、市長時代自宅と市役所間のごみ拾い12年間毎日欠かさず続けました。小形のペットボトルの飲料水は飲まない。市役所第二庁舎のエレベーターは使わない。冬でもコートは着ない。携帯電話を持たない等々です。それが何なのという家族の声もありますが。しかし、ここにきて携帯電話を持たないで済ますことができるか自信を無くしています。もしかして、今度お会いしているときに、携帯の呼び出し音が鳴ることになるのかも。

さくら通信 平成23年9月26日


【燃やすごみの広域支援について(その1)】

 小金井市の燃やすごみの年間の排出量は約1万4千トンです。しかし、現在、本年度の広域支援による処理の受入れ契約は多摩川衛生組合(稲城、狛江、府中、国立市)の8千トンだけで、11月以降の6千トンの処理計画の目途が立たないという異常な事態にあります。
 これは、先の市長選挙で佐藤市長の「ごみ20億円のムダ使い」との選挙公約に、小金井市のごみを苦渋の中で受入れてくれた各自治体が一斉に反発したもので、これまで進めてきた計画はすべて白紙になるとともに、多摩川衛生組合の関係者からは、8千トンの契約履行にも不満の声が出るという状況です。
 小金井市民の安定した生活は、多くの自治体や市長会そして東京都の大変なご努力のお陰であります。特に、平成21年度は広域支援協定に基づく支援が非常に厳しい状況でしたが、2月25日の市長会で会長の黒須八王子市長から「小金井市の問題は多摩全体の問題として取り組み、広域的に支援していくことが必要です。協定に縛られずに支援できる市には支援できるようにしたい」との発議があり、市長会は活発な意見が展開され、八王子市は支援を表明。副会長の北川昭島市長も賛同され意見は集約されました。これには、東京都の積極的な協力もありました。その結果、4月1日からは八王子市、昭島市の支援でスタートし、日野市、多摩川衛生組合等の支援をいただくことができました。
 その後、順調に推移していた広域支援ですが、「ごみ20億円のムダ使い」で状況は一変しました。「建設は死闘、破壊は一瞬」という言葉を実感しています。市民や職員がこつこつと築いてきた他市等との信頼関係は完全に崩れ、平成24年度の計画も立ちにくい危機的な状況にあるものと思われます。
 佐藤市長は、6月の議会で選挙広報等の「20億円のムダ使い」を、謝罪し撤回すると発言し、市報等にも掲載してはいますが、相手方のご理解をいただくには至っていないようです。私は、まず市民に現在の状況を正しく丁寧に説明する必要があると考えています。そのためには、きちんと市報等に掲載するとともに、2回のタウンミーティングで済ますのでなく、回数も大幅に増やし、ネーミングも市民に危機感を持っていただくため「緊急!燃やすごみの市民説明会」などとした方が効果的と考えます。
 市民生活の最重要課題であるごみ問題、課題解決に全力で当たることを期待します。
 *小金井新聞9月21日号に寄稿した文章を加筆しています。

さくら通信 平成23年9月22日


【思い出のアパートを返還】

 9月15日、38年間借り続けていたアパートを家主さんにお返ししました。
 学生時代から社会人へと、田無市(現・西東京市)に住んでいたことから、小金井公園や野川など小金井市に遊びにくる事が多く、漠然と東京に住むなら小金井と決めていました。
 千葉に戻って6年を経て、小金井市に転居してきたのは昭和48年9月15日でした。夏の暑い中、小金井中を歩き回り、決めたのがその緑町5丁目のアパートでした。まだ建設中で階段もなく、梯子で2階を見せてもらいました。1階が店舗で2階がアパート、6畳と4・5畳の2部屋に台所という典型的なアパートで、南側には中央線をはさんで蛇の目ミシンの本社工場の大時計があり周囲の環境も素晴らしく、妻と1歳の娘と3人で、親戚1軒友人1人いない小金井市に越してきました。
 大家さんは尾形喜代治さんという彫刻家で、武蔵小金井駅北口にあったブロンズの裸婦像・平和の塔の製作者です(現在、駅周辺の整備中のため保管中です)。また、市長室には裸馬に跨がる裸婦の作品もあります。大変お世話になり感謝しております。
 このアパートには12年間住まわしていただき、その後は事務所兼物置として使ってきました。早く片付けなければと思いながら、小金井市に越して来た時のことや、娘たちの成長の思い出などを考えるとなかなか手放せませんでしたが、契約更新の時を迎えお返しすることにしました。
 支援者の方から、備品もそろっているので事務所をお貸ししますよ、と言っていただいていますが、今後、必要となった時にお借りするか、新たな所を探したいと考えています。

さくら通信 平成23年9月20日


【街角の風景】

 暑い夏もやっと過ぎ去ろうとしています。野川にも秋の花が咲きはじめました。多くの方々に見てほしいと思って咲いています。是非、見ていただきたいと思います。今の見所は丸山橋から二枚橋の間ではないでしょうか。

さくら通信 平成23年9月10日


【街角の風景】

 緑町1丁目、市・教育委員会 伊藤恒子委員長宅のガレージ前、イーゼルに架かる額には、フラワーポットの季節の花が飾られ、人目を引いています。

さくら通信 平成23年9月9日


【野川の水面に異常が】

 9月7日の朝のウオーキング、コースを変えて二枚橋から鞍尾根橋に向かいました。6時少し前、箭真舳橋を過ぎたあたりから、野川の水面に灰色をした油膜のようなものが一面に浮いているのです。ただ魚が浮いている様子はありませんでした。原因が分からず市役所の施設管理係に連絡し、対応策をお願いしました。その異物は、手にとってもにおいもなく、サラサラしています。最近、市の粉末の街頭消火器を使ってのいたずらが連続しているので消火剤ではないかとなりました。その後、小金井市と消火器番号の入った空の消火器3本が見つかり、結果として、街頭に置いてある粉末消火器を持ち込んでのいたずらと分かりました。水質には大きな影響はないようですが、市民の貴重な財産である野川を汚すことは許されません。また、もし火災が発生した時、頼りにする街頭消火器がなかった事を考えると許せない行為です。
 施設管理係から連絡を受けて、市の環境部長が早朝にもかかわらず駆け付けてくれました。ありがとうございました。

さくら通信 平成23年9月8日


【迷走した政策調整監人事】

 佐藤市長は就任当初、副市長の人選については内部登用と発言されていたが、6月定例会の後半、都のOBで都の外郭団体を経て民間企業のある方を、水面下で議会の意向を探っていたようです。この方は、私も都庁時代からよく知る人で、本人から連絡があり副市長に関する状況の説明をもらいました。私の考え方も聞かれたので、よく市政の状況等を判断して決められたらいいですね、とだけ申し上げました。数日後、今回は副市長の提案を見送ることを、本人から電話で聞きました。その後、臨時会等で議会の同意を得るのかと思っていたら、それもなく、突然、政策調整監に名前が浮上したのには驚きました。
 政策調整監は組織規制の改正による新設で、市長が定める特命事項の総合調整を行い、担当部局を支援し、必要に応じて市長に助言することを目的とする、とのことで、市長が定める特命事項とは行財政改革、新庁舎、市民交流センター、新可燃ごみ処理施設、及びまちづくりです。
 副市長は議会の議決を必要としますが、政策調整監はその必要がなく、市長の権限で組織規制を改正し登用できるもので、これを活用することになりましたが、大きな問題を残しました。
 その問題点は(1)与えられた職責から議会の議決を得る条例改正をすべきではないか。(2)手続きが拙速で、8月8日、市長の判断で政策調整監を設置するための組織規則等の改正を決裁し、庁議に諮ることもせず即日交付する。そのような中で採用のための選考面接も行い、採用を決定するというあわただしさ。また、翌日の報告となった庁議では、各部長から質問や意見が続出したにもかかわらず市長の考えで強引に進める。また、職員団体からの覚書き違反の申し入れに対しても、謝罪はしたが採用は止められないと押し切る。(3)政策調整監の給与が最高級の79万7千円と部長職の平均を大幅に上回る。(4)政策調整監に名前の挙がった方が、現在、国民を不安に陥れ、連日マスコミ等で報道されている企業の重職にあたることで、非常事態から抜け出し、小金井市が引き受けることになるのか。(5)人事は恣意的になってはいけないし、情実人事は絶対に避けなければならないが、今回のこの政策調整監の人選にはその様な疑問を持たれることが無かったか。等です。
 17日、市議会会派代表者会議で、市長から、先方から辞退届が出され採用を断念し、改正した規則等も元に戻したことが報告され、一件落着となりました。しかし、特定の個人のためではなく、小金井市にとって必要として改正されたであろう規則を、特定の個人の辞退により規則を元に戻すのも理解しにくいものです。
 この、騒動は職員の士気に影響するなど、今後に大きな傷跡を残すことになりました。

さくら通信 平成23年9月5日


【夏の暑さに勝つ 1日1万歩以上】

 東日本大震災による福島第一原発の事故により、夏の電力供給が心配され、企業はもとより各家庭も節電の協力の必要性を感じました。もっとも、空調は頼らないほうですが、節電に心掛けました。
 また今年の夏は、例年よりも暑いと言われていましたので、この夏の暑さに勝とうと、意識して1万歩以上のウオーキングに励みました。
 その結果、6月8日から8月31日までの83日間(この期間中、12時間のフライトと8時間の時差による2日間を除く)で、
 1万〜1万5千歩が34日
 1万5千から2万歩が26日
 2万〜2万5千歩が12日
 2万5千〜3万歩が7日
 3万歩以上が4日です。
 1万歩以上の記録は継続されています。
 それが何なの。熱中症になっても知りませんよ。という家族の言葉も聞き流し、今日も、市長になる前、12年前の健康と体力を取り戻すため歩きます。

さくら通信 平成23年9月3日


【街角の風景】

 第33回小金井薪能は8月21日(日)降雨のため中央大学附属高校の講堂に変更になり実施されました。小金井公園江戸東京たてもの園広場は準備が完了していましたが使われず終わりました。残念です。


さくら通信 平成23年8月22日


【市政報告会(その4)】
私の生い立ち

 6月4日に行った市政報告会で、時間の関係から省略し、仲間からはその話が聞きたかったと言われました。それは「私の生い立ち」でした。

 私は、昭和19年(1944年)11月26日、旧満州(中国・東北地方)牡丹江省穆稜(ムーリン)で布施孝彦として生まれました。父は南満州鉄道株式会社(満鉄)の社員でした。助役の資格を得たことから、勤務地がソ連(ロシア)との国境の街である綏芬河(スイフンガ)に移りました。昭和20年8月9日、ソ連がこの戦争に参戦したことから、母と私は父を残して特別列車で逃げました。父の最後の言葉は「この子は生まれてこないほうがよかった。どうせあなたたちも日本までは帰れないだろう。この子より先に死なないように」だったそうです。父28歳、母24歳、私は9か月でした。
 10年前の夏、母と妻と長女と私の家族4人(次女は青年海外協力隊でガーナに赴任中)で穆稜と綏芬河を訪ねました。穆稜は中国の典型的な田舎町で、私の生まれた満鉄のレンガ建ての官舎は、その時でも、周辺の建物の中では目立つ位で、中国の人が住んでいました。
 綏芬河は一転、素晴らしい景色の中にヨーロッパ文化を取り入れたリゾート地で、とても中国のイメージとは異なる美しい街でした。私たちの住んでいた建物は取り壊され、マンションに立て替え中でした。
 父の職場でもあり、最後の別れとなった綏芬河駅はロシアとの国境の大きなターミナル駅で、引き込み線には木材を積んだ貨車が多く見られました。そのプラットフォームに立った時、56年前、迫ってくる砲弾の音を背に、死を覚悟し、妻子を見送るその時の父の気持を考えると涙が止まりませんでした。
 昭和21年8月、終戦から1年かけて栄養失調ではあったようですが、無事日本に帰ってきました。

 私の脳裏になる最も古い記憶は、間口1間、奥行1間半の物置での生活でした。千葉県銚子の母の実家の近くでした。母の実家は手広く商売をし、たいへん繁盛していましたが、私は母の洋裁や編み物の内職で生活していたので、今考えても極貧の生活でした。
 数年前、小金井公園のラジオ体操会場で、「稲葉さん、私、あなたの小さい頃の事を知っているのよ」と、話しかけられました。私は「いつ頃のことですか」とお聞きすると、正にその時の、タダで借りていた物置の時代でした。「この頃のことを話されるのは嫌ですか」と言われるので「嫌ではありません、もっと詳しく知りたい位です」と申し上げました。その方は貫井北町3丁目にお住まいで、私より少し年上ですが、私の過去を鮮明に記憶されていることには驚きました。最近お会いしていないので私の記憶を補強しておかなければならないと考えています。
 この物置は、私が大学2年の夏休み、母の実家でアルバイトをしている時、家主さんが「孝ちゃん、物置を壊すので見ておいたら」と、声を掛けてくれました。細い路地に面していたので時々は目にしていたのですが、あまりの小ささと貧弱なのに改めて驚きました。物置は数時間で解体されました。
 小学校に入学する前、母は私を連れて再婚しました。母と私の戸籍は父の実家の八日市場市(現・匝瑳市)にあったのですが、私の戸籍を抜くことに父の実家は同意しませんでした。そのため、稲葉家5人と私、布施孝彦が一緒に住む形になりました。
 学校では先生が気を使って稲葉と呼びますが、公式の文書などを貰うときは布施となります。そのため、いつもからかいの対象でした。田舎のことですので、時には、父が引き揚げてくるという噂が立つこともありました。帰ってきて欲しいと強く願いつつ、そうなったらどうなるのだろうか。弟も生まれているし、と、子ども心にも考えていました。貧しい時代でもあり、家の中は複雑でしたので、現在、子育てで社会問題化されることの多くは体験したと思っています。満州からの着の身着のまま、命懸けで私を連れて引き揚げてきたわけで、母の愛情は十分に感じていましたが、私に厳しく当たることで家の中が上手くいくことを子ども心にも分っていましたが、人目に付かない所で、声を殺して泣くこともしばしばでした。母は辛かったと思います。
 小学5年の時、学校の先生の勧めもあり、母は父の実家の同意を得ずに、強引に養子とし私の姓を変更しました。後々、問題もあったようですが、私には布施より稲葉の方が多く使われていたので特に抵抗感はありませんでした。
 中学時代は学校が荒れていたこともあり、楽しい思い出はあまりありません。育ての父が事業に成功し、貧乏からは脱しましたが、私の環境に変わりはなく、小学校、中学校時代は今思い出しても楽しいことは少なく、辛いことの連続でした。
 高校時代は、自分にとって最も楽しかった時期だったと思います。自由な校風の学校で、尊敬する先生方、多くの友人にも恵まれました。
 大学はワンダーフォーゲル部に属し、山登りと旅行に熱中しました。学校に行くより山登りや旅行をすることの方が多く、ほとんど勉強しない日々でした。特に3年生の時は、大阪商船の貸客船の船底に乗せてもらって太平洋を渡り、1年間アメリカで仕事をしながらの無銭旅行をしていました。帰ることがなかなか決断できないほど楽しかったです。
 勉強をしたのは4年の1年間でした。卒業のための勉強であり、単位を取るだけが目的でした。早く社会人として自立したいと思っていただけに、卒業が決まった時、「やったー」と大声を出して喜んだのを覚えています。  大学4年から田無市(現・西東京市)に住んでいたこと、それが小金井市民になるきっかけになりました。
 以上が、社会人になるまでの私の履歴です。
 長い文章、最後までお読み頂きありがとうございました。

さくら通信 平成23年8月24日


【ジブリ作品「コクリコ坂から」】

 8月4日、立川シネマシティーで、スタジオジブリの最新作「コクリコ坂から」を観ました。宮崎吾郎さんの監督は「ゲド戦記」に次ぐ2作目になります。
 スタジオジブリの本拠地が小金井市にあることが、市のイメージアップにつながっています。世界へのジブリ作品が、私たちの市で作られていることも誇りです。宮崎駿監督や鈴木敏夫プロデューサーがテレビ等に出演する際、小金井市のスタジオと紹介されると嬉しくなります。他の自治体の誘致運動等もある中で、市の貴重な財産でもあるジブリの製作環境を整えるため、私も協力させていただいてきました。
 3月11日に発生した東日本大震災、それに伴う計画停電で「コクリコ坂から」の制作は勤務体系を変えるなど、多くの困難を克服して完成にいたりました。
 作品は、昭和30年代後半の高校生を主人公に作られており、自分の高校時代とダブルことや、舞台の港町は銚子で育った私にもたいへん楽しく、もう一度観てみたいと思っています。

さくら通信 平成23年8月19日


【東小金井駅南北自由通路開通】

 JR中央本線三鷹ー立川間の高架事業が完成し、踏切りによる交通渋滞が解消され、市民生活は大きく変わりました。その後は、駅舎の完成、線路北側の側道の建設、高架下の活用等になりますが、工事は着々と進んでいます。
 7月31日、東小金井駅の南北自由通路が完成しました。南口はすでに完成していたのですが、北口の仮通路は複雑で段差があり、高齢者の方々の歩行が困難な状況にありました。今回の、南北自由通路の開通は大きな前進です。また、終電後、始発までの間は、これまで使っていた自由通路東側の通路を使うことができます。
 私は、中央線のすぐ北側のマンション4階に住んでいることから、高架事業の進捗をつぶさに見てきましたが、現在は、高架下や側道工事の進行を見ています。
 小金井市の街づくりが着実に進んでいます。


さくら通信 平成23年8月10日


【市立第四小学校の校庭芝生化】

 市立二小、本町小に続いて、今、四小の校庭芝生化の工事が行われています。9月1日の始業式に登校する子どもたちが喜ぶ姿を想像すると嬉しくなります。
 公立小中学校の校庭の芝生は、石原慎太郎知事の地球温暖化防止のためのひとつの施策によるものですが、芝生のメンテナンスが大変だということから、なかなか受け入れてくれる学校がありませんでした。そんな中で、市立二小が最初に手を挙げてくれました。
 校長先生をはじめ教職員、保護者、各種団体等多くの方々のご協力で円滑な運営をすることができました。
 都は、市長会などでも二小の芝生化をモデルケースとして紹介し、都の教育長をはじめ多くの方々が視察にみえました。
 芝生化の校庭では、子どもたちが座ったり、寝転んだりして楽しんでいます。また、昆虫が増えトンボも飛ぶようになり、環境教育にも役に立っているようです。
 これから、次々と校庭の芝生化が進んでいくことになります。


さくら通信 平成23年8月9日


【街角の風景】

 府中、浅間山公園のムサシノキスゲ


さくら通信 平成23年8月6日


【副市長の選任と同意について】

 市にとって、副市長は市長を補佐し、その職務を代理するものであり、言うまでもなく非常に重要な職責にあります。
 佐藤市長は、6月定例会で副市長の選任に対し議会の同意を得るため、特定の個人の経歴書と、その人による文書が各会派に配られました。その文書は「副市長承認にあたり」と題し「平成23年度第二回定例会に、副市長承認をお願い致しております○○○○(個人名)です。」との書き出しで、「佐藤市長が今般、私を副市長に指名し小金井市議会のご承認を求めているところでございますが、…」という趣旨の文言の後、その方針と決意を述べられています。各会派に水面下で同意を求めたようですが、結局、議会への提案には至りませんでした。
 7月に臨時会でもと考えたのか、理解を得られにくい会派に対しては、その後も同意を得るため、様々な説得工作が行われているようです。しかし、名前の出ているご本人までが動き出すとしたら、猟官運動と取られてしまうのではないかと気になります。
 佐藤市長は就任時の記者会見で、内部登用の考えを表明されていたのではないかと思いますが、なぜ変わってしまったのかは分りません。
 今、小金井市の副市長問題は都庁でも注目されているようです。

さくら通信 平成23年8月4日


【貫井南センターにエレベーター】

 私が市長在任中、最も多く訪れたのが貫井南センターでした。貫井南町は地域自治が進み地域の絆が強く多くの行事が行われています。そのため、お邪魔することも多くなりました。
 貫井南センターは、地域センターの中で最初に作られた施設であるため、今となると問題も多く出ています。建て替えの時期が来ていたのですが、北町地域センターの開設が待たれていることなどから、今後も継続使用することから耐震補強をしました。
 そこで、これから先10年以上も使用するとなると、高齢者や障がいのある方々が容易に二階に上がれるようにすることや、荷物の出し入れのためにもエレベーターの設置が必要と考えました。耐震補強の終えた建物のどこの壁が壊せるのかを計算し、その結果、利用者の方々のご意見をお聞きする中で、東側玄関横の駐車場に設置することを決め、平成23年度予算に5、600万円計上し、実施に踏切りました。
 現在、工事は順調に進み、完成は10月末を予定しております。今年の敬老会に間に合わないのが残念ですが、地域活動の大きな力になることでしょう。


さくら通信 平成23年8月2日


【選挙公約と市民交流センター取得】

 市は、8月15日までの間「小金井市民交流センターの取得の賛否を問う市民投票条例(案)」に対するパブリックコメントを募集しています。
 佐藤市長は選挙公報で、「稲葉市政のムダ使い」として、市民交流センター取得金額75億円をあげています。権利床が約26億円であり、保留床の取得金額は約40億円ですので75億円の積算根拠が分りません。
 また、欠陥物件は買いません、ともありますが、自治体は欠陥のある物件は初めから買えないということでもあります。
 購入の是非は住民投票で、とあり、これが今回の市民投票条例の制定につながるわけですが、買うか買わないかの判断は市長の責任であり、そして、議会の役割はそれを議決することにあります。それが議会制民主主義の原点です。市民投票をすべて否定するものではありませんが、これまで、市は10年にわたって市民参加で進めてきた市民交流センターの建設を、完成したら購入の是非は市民の判断を仰ぐというのであれば、それは責任の回避であり、責任の放棄ではないかと思います。もしそれをやるのであれば10年前の話です。私は、市民交流センターを含めた再開発の民意を問うため、平成16年6月に市長を辞任したこともあり、結果はご存知の通りです。
 75億円のムダ使いと宣伝しておきながら、買うか買わないかの判断を市民にさせるというのも変な話ではないでしょうか。

さくら通信 平成23年7月28日


【市民交流センター取得とパブコメ】

 市報こがねいの7月15日版1面に「小金井市民交流センターの取得の賛否を問う市民投票条例(案)に対するパブリックコメントを募集します」の記事が大きく掲載され、8月15日まで意見募集をするようです。
 市民交流センターの取得については議会も大きく意見が別れるところです。佐藤市長は選挙公約の中で、取得金額75億円、市民交流センターの取得はムダ使いとし、欠陥物件は買いません、仮に欠陥が解消しても購入の是非は住民投票で、としていますが、選挙公約については今後に回すとして、今回のパブリックコメント(パブコメ)の募集について考えてみます。
 6月定例会の中で、センター取得のスケジュールが資料として提出されたようですが、理由は分かりませんが回収になったようです。再度出し直すとすれば8月2日の総務企画委員会になり、そこでの議論になるものと思っていただけに意外でした。このパブコメの募集に対しては、センター購入や市民投票の賛否にかかわらず、議会軽視として24人の議員全員が不満を示すことになると思います。もし、それでもパブコメをやるのなら早めに委員会か委員会協議会を開いてもらうかして、議会に考え方を伝えておく必要があったと思われます。現在、市民交流センターは、欠陥が解消されれば購入するとする議員が多数と思われます。また、市民投票は不要とする議員も多数と思われます。そのような中でのパブコメです。何の意味があるのか疑ってしまいます。しかし、市長が市長と議会は二元代表制だから、と言うのなら話しは別ですが。

さくら通信 平成23年7月17日


【帝劇開場100周年記念公演】

 帝劇開場100周年記念公演と銘打っての舞台公演が続いています。過日、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」を見ました。米倉涼子と寺脇康文の出演でした。「風と共に去りぬ」は昔、映画で見たことがあり、特に見たいと思っていたわけではなかったのですが、帝劇100年の一連の舞台の演出が山田和也さんと聞いたからです。
 山田和也さんは日本トップクラスの演出家で、話題作の多くは山田さんの演出と言っても過言ではありません。三谷幸喜さんとの関わりも面白いものがあります。私の家内は山田さんの演出というと特別関心を持っていましたが、私が山田作品を見るのは多分初めてだと思います。
 私は山田さんと、お会いしたことも話したこともないのですが、山田さんのご両親と親しくさせていただいていることから関心を持ったのでした。
 これから帝劇では、アレクサンドル・デュマのミュージカル「三銃士」、ドイツの国民的大ヒット曲メーカー、ウド・ユルゲンスの「ニューヨークに行きたい!!」、ミュージカル「ダンス オブ ヴァンパイア」と山田和也さん演出の作品が続きます。
 ネットで山田和也さんを検索して見てください。そして、山田さんのご両親がどなたなのかは、お会いしたときに話させていただきます。

さくら通信 平成23年7月14日


【1日 1万歩】

 公務等で時間に余裕のない時は計画的に物事が進むのですが、今のように時間に余裕ができるとなかなか思う通りに進まないものです。
 その中で、特にこだわっているのは1日1万歩です。市長の時は自宅と市役所の往復で4,500歩、後は市役所の中でどのぐらい歩くか、市内は時間さえあれば貫井センターや東センターへも歩いたものです。夜、自宅近くで歩数計をみて9,000歩台の時は、近所を一週して帳尻を合わせました。家族からは、「不審者と間違えられますよ」といわれてもめげずに頑張りました。手帳には、その年の1月1日からの1日1日の歩数を記録しています。
 最近は歩かなければならないことがないので意識して歩くようにしています。特に6月8日から7月11日まで34日間連続して1万歩を超えており、それを途切れさせないためにもまた歩くという毎日です。歩くコースは市内全域です。気が向いたときは、武蔵境駅や国分寺駅で電車を下り、歩いて帰ることもあります。
 健康のためには歩くのがいいですね。自分の体力に合った距離や速さで無理をしないことです。歩くと、多くの人と出会えることや、季節の移り変わりや町の変化、そして、新しい発見にも出会い、小金井市の素晴らしさを再発見することができます。
 ただ、この酷暑は避け、涼しくなってから始められたほうがいいと思います。

さくら通信 平成23年7月12日


【平成23年第二回市議会定例会を終えて】

 平成23年第二回定例会は会期を3回延長し6月28日未明に終了しました。佐藤市長にとって最初の定例会であり、施政方針に対する質疑は選挙公約を含め、議長を除く23人の全議員が質問に立ったようです。

 市長選挙の公約であり市長選最大の争点のひとつ、20億円のムダ使いとしたごみ問題は、主張を撤回し陳謝するとの答弁がありました。また、議会最終日「佐藤市長の市長選挙公報等におけるごみ処理問題での主張に対し猛省を促し、早期に安定的なごみ処理体制の確率を図ることを求める決議」が全会一致で可決されたことから、市長は、自らの給料を20%1か月カットする議案を提案し、これも全会一致(退席2人)で可決されました。選挙公約の撤回がこれでピリオドとなるのか、議会は納得したとしても市民が理解できたとは思えず、今後の推移を見ていきたいと思います。

 今定例会では、選挙公約の撤回以外にも理解し難いことがありました。先ず、市長の選挙公約であった給料月20%カットと、退職金返上の条例が1本の改定案で出されたことです。結局、退職金が議論になり、委員会で継続審査となりました。市長も議会も、給料と退職金を分離すれば片方は通ったはずであり、何故そうしなかったのか、公約の実現に消極的と取られても仕方ないと思います。私は、この種の選挙公約は、票を金で買うという感覚に思え理解できるものではありません。もし、給料をカットしたいなら当選後に公にすればいいし、退職金は退職時に決めればいいので、その方が格好よかったのではないか。また、給料カットの公約を守るのであれば、5月24日の市議会臨時会で議決できた筈でした。私は、選挙公約はしなかったが、就任間もなく議会を通す暇が無いことから、専決処分で給料と給料とボーナスのカットしたことを思い出しました。

 次に、市長の予算の提案姿勢です。今回の一般会計補正予算(第2回)ですが、芸術文化施策に要する経費として、委託料1千5百万円が計上されました。予算委員会では市民交流センターの取得に反対する議員の質問に対し、市長は「一定の対応をする」との趣旨の答弁をし、芸術文化事業委託料を削除する訂正を提案しました。しかし、議会は反対多数でこれを不承認とし、原案を可決しました。訂正に賛成し、原案にも賛成したみどり・市民ネットの議長と1議員を除いた4議員の考えも分かりにくいが、提案者は提案した議案を通すことに全力を挙げないと部局は混乱してしまう。今後は、可決された予算をどの様に執行するかが注目されます。

 それ以外にも、市民交流センター取得の住民投票問題や、市政の最重要課題は新庁舎建設とすることについて(私はごみ問題だと思うが)等、課題を残した議会となりました。

さくら通信 平成23年7月11日


【電力不足に伴う節電】

 電力消費の多くなる夏を迎え、事業所や各家庭においても節電に知恵を絞るとともに、我慢の時を迎えました。
 毎年、夏に入る前に東電の支社長が市役所を訪ねてこられ「すでに小金井市さんには節電にご協力いただいていますが、改めて真夏の電力需要のピーク時の節電をお願いします」との趣旨の挨拶があります。私は冗談半分に「企業が当社の製品を買わないでいただきたいとセールスに来るのは東電だけですね」と返していたのですが、本年はさらに真剣に節電をしなければなりません。我が家も電気はこまめに消すなど節電につとめていますが、クーラーをどこまで使わないでいけるかがカギです。
 「東京の暑さ寒さに耐えられないようでは生きていけない」と言ってきた私ですが、近年、自宅では少しはクーラーを使うようになっていました。市役所では、市長室は来客時以外はエアコンを使うことはほとんどなく、入り口にある秘書室は、夏は暖気が冬は冷気が市長室から流れ出て迷惑をかけたものです。快適な環境の下での勤務は仕事の能率を上げるためには必要だと思いますが、今年は例年通りとはならないと考えます。東日本大震災発生後の計画停電時、都・市長会は「私たちの電気を被災地に送ろう」をスローガンに節電のお願いをしていました。ただ、高齢者や乳幼児、健康を損なわれている方は無理をなさらないのは勿論です。
 とにかく、長年慣れてきた生活様式を変える時が来たのだと思います。

さくら通信 平成23年7月5日


【我が故郷・銚子】

 私の故郷・銚子に6月11日午後、所用で帰りました。
 東京駅から特急電車でも高速バスでも約2時間で着ける距離にありながら、なかなか帰ることができません。
 今回は、八重洲口から高速バスで行きました。東関東自動車道を香取インターで降りて街中を走ると屋根にブルーシートをかけた家が目に付きだしました。3月11日の東日本大震災の地震により屋根瓦が崩れた影響のようです。津波に関しても、隣接の旭市は大きな被害が報道されていましたが銚子市は軽微な被害で済んだようです。
 私の故郷銚子は、昭和8年に市制を施行し、千葉県では千葉市に次いで2番目という古い市ですが、過疎化の波を受け町は元気を失っています。昭和38年当時は10万人いた人口が現在は7万人を切ってしまいました。商店街もシャッター通りと化しており、やたら貸店舗の看板が目に付きました。駅前大通り歩道のインターロッキングが崩れたままになっているのも気になりました。翌朝の特急で帰るという短時間の日程でしたが、地方が疲弊しているのを実感しました。銚子漁港は日本1の水揚量があり、灯台キャベツやメロンも広く知られており、ヤマサ醤油やヒゲタ醤油も有名です。何よりの自慢は犬吠埼灯台を中心とする風光明媚な景観です。比較的恵まれている銚子ですらこのような状況です。改めて地方の厳しさを実感するところです。地方を活性化するためには、なんとしても景気の回復が必要です。

さくら通信 平成23年7月1日


【市政報告会(その3)】

 6月4日、市民交流センターが一般開放されて、私たちが大ホールを最初に使う利用者になり、市政報告会を開催しました。巡り合わせとはいえ大変光栄でした。
 その記念すべきオープニングに、大ホールは満席、ロビーのモニターをご覧になる方、さらに受付付近で音声だけをお聞きする方と、700人を超える方々のご参加をいただきました。わざわざ報告会出席のためお越しになられたにもかかわらず、満席のため1階でお帰りになっていただいた方々も大勢出てしまい、対応の不手際を申し訳なく思っています。
 私の報告は、就任時からの12年間の市政について、裏話を含めながらお話させていただきました。
 財政の危機的状況の中での街づくりは至難のことでしたが、志を同じくする議員や市民の協力もあり、「財政破綻」と喧伝されましたが、それを乗り越え目的を達成することができました。街づくり等の財源不足は、職員の協力もあり内部努力で生み出す、それが行財政改革にもつながりました。この12年間で、小金井市の最重要課題であった、財政再建と街づくりを果たすことができました。
 困難もありました。JR中央本線の高架事業のための租税特別措置法の改正、都市再生機構の再開発への取組み姿勢、JR東日本の再開発から転出要望、イトーヨーカドーの出店見合わせ、市議会での予算否決、市長辞職等々の困難を乗り越えてきた経過について、裏話を含めて報告させていただきました。
 お聞きいただいた方々からはいい報告会でした、非常に分かりやすく理解できた、とのお言葉もいただきました。
 終えてから、「なっぱの会」の仲間との打ち上げで、時間の関係で言い足りなかったことを話したら、それは、皆が聞きたかったことだよ、話せば良かったのにと言われました。
 その話は[市政報告会(その4)]でお伝えしたいと思います。

さくら通信 平成23年6月23日

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